日々の学び研究所

日々の学びの備忘録。僕は無力だ。

[推理小説]ポロット氏の教訓話

◆登場人物紹介 
アドミラム・ポロット:不思議な外国人毒物学者で世界の名探偵。
明石 進:ポロットの助手で保護者のような存在。『私』。

◆物語中の人物
アマルテア:偉大なる傭兵。
ヴァランゲ:皆に愛される公爵。
マグダリーニ:その下女で親代わりのような存在。
ジェルラール:ヴァランゲの弟。
デコリー:父公爵時代の家臣。

私は、この蒸し返すような暑い空気に、もううんざりしていた。

別に蒸しパンを作るわけでもないのに、どこに居ても暑い、この空気に。

冷房をつけるにも、友人で、偉大なる名探偵と自惚れているポロット氏は、

「寒い!ここを北極にする気かい!」

などと叫んで、すぐスイッチを切ってしまう。

「そんな立派な口髭をつける前に、セーターでも着たらどうだい。」

と、私は皮肉を言いかけたが、すんでの所で止めてしまった。多分彼は、私に向かってこう言うからだ。「そんなことより、自分の着ている上着を脱いだらどうです!あなた」

 この、名古屋の一区画にある探偵事務所は、いま、ポロット氏の配下にあった。私のことなど、これっぽっちも考えず、コップや、その他の食器類は、左右非対称な形に割って、地下の実験室のガスバーナーで加工するし、装飾は、全て、いずこかの民族のものか、とも思われる奇妙なしろものだ。まして、それが左右非対称なところが、更に気味悪い。

 今も彼は、継ぎはぎだらけの、一体何枚の布を使ったかさえ分からない、カーテンを、ひくところだった。外は、紫の闇が広がり、いつのまにか、黄色の電灯が空にともっている。  

カーテンのそばから戻ってきて、コーヒーを飲み始めたポロット氏に、私はこう提案した。私としては、この上なく良い提案だと、感じた。

「どうです、ポロット。今度の休日に、海にでも、泳ぎに行きませんか?」

だが、背もたれの半分無い椅子に、背筋をピンと伸ばして座っている珍妙な小男は、

「ノンノン、誰がそんな所に……!!なぜ、そんなことを思い立ったのです!?」

「なぜって、暑いからですよ…。それに、たまには、気晴らしも良いでしょうし。そう思いませんか?ポロット。だってこの頃、私達が見ているものといったら、死体ばっかりじゃないですか。アトロピンで毒殺された、瞳孔を見開いた死体や、青酸カリで血を吐いて倒れた死体。どれもこれも、気持ち悪いったらありゃしない!」

「まあまあ、あなた。気を静めて……私は、海に、行きたくないんですよ。」

ポロット氏は、両手を、私を宥めるように、前後に軽く動かした。

「でも、あなたは、海の水は、『どんなに左右対称な物でも、左右非対称に見せる』と言って賞賛していたじゃありませんか?」

私は、少々口を尖らして、拗ねた子供のような声で、言った。

「いえ、しかし、海は危険なんですよ、あなた」

(「まさか!子供じゃあるまいし!」……私は、小声で言ったが、ポロット氏の地獄耳には、十分聞こえた様だった)

「しかし、海の水は危険なんですよ!!」

彼は、私を、下から見上げて、手を振り上げて、壮大なジェスチャーをしながら言った。

(海の水より、あなたのジェスチャーの方が危なっかしいですよ。私は、この前、それで殴られましたからね!)

 私は、ため息をついて、しばらく奇妙な友人の顔を見つめた。この顔を見て笑わなくなったのは、つい最近のことだ。卵型の頭に、少々はげてきた額、灰色のヘイゼルアイの下には、西洋人にしては低い鼻が有り、そのまた下には、右側がピンと跳ね上がり、左側が垂れている、『左右非対称』の髭…………途端ひらめいた。

「あ!なるほど、その髭の形が崩れるんで、海には行きたくないんですね。蝋で固めているから、水にぬらすと、しなだれるんでしょ、その口髭が」

我ながら、この答えには感服した。

我が輩も、きゃつに負けず劣らず、名探偵であることよ。

しかし、ポロット氏は、

「まあ、それも有りますが……他にも理由があるんです。これから、私が、話をしてあげましょう。どうやらあなたは、物分かりが悪いようなので。これを聞けば、あなたも、水が怖くなりますよ」

また、『ポロット氏の毒物学講座』が始まるのかとも思ったが、そうでもないようだった。ポロット氏は、自慢の口髭をひねり、目を瞑って、話し出した。

「この話は少々不気味ですよぉ……。少し伝説まがいの戯言が入っているのですがね……」

そのまま、彼は、おもむろに話し出した。

「いやはや、もう何百年も前のことです。しいて言えば、十七世紀初頭のことです。そこに、ヴァランゲと呼ばれる、一人の公爵が居たのです。彼は、その地一帯を治める地主で、幾人もの下男下女を持っていたらしいのです。彼が、一番に信頼していた下女の名はマグダリーニ、顔の大きな、太った女性だったのだそうです……。どちらかと言えば、子守りをしているような、にこやかな赤ら顔をしていて、経験が豊富な女性なのです。彼女は、公爵の父の代から仕えている者で、公爵にとっては、母のような存在でした。公爵を育て上げたのは、もっぱら彼女だったからです。公爵の父が、黄熱病を患って無くなってからは、彼女は、下女では無く、身内のような存在になっていました。それなのに、下女という立場を与えられているのは、マグダリーニがそう求めたからです。」

「ちょっと!」

私は、話をさえぎった。

「そんな、バラバラ公爵が、どうのこうのなどという話は、どこで仕入れたのです?」

「最後に教えますよ。これからが興味深いところなのです。

 公爵の父は、軍事主義の男でした。その地方で一番恐れられていた男だったのです。ところが、何を思ったか、いきなり地方の若い娘と結婚し、遠方へ行ってしまったのです。生まれた幼い二人の子を、マグダリーニに託して。多分すぐに帰ってくる予定だったのでしょう。しかし、帰ってきたのは従者と、「両人、黄熱病により死亡」という報告書だけでした。それから、彼は、マグダリーニを母のように慕って育ちました。

彼は、ある日の夕方、人と、待ち合わせがあるのだと、下女のマグダリーニに告げて出ていきました。『闇の森』という場所の方角へ向かってです。マグダリーニは、その時、頭を下げて、彼を見送ったと言っています。公爵は、いつもどおりの、朗らかな笑顔をしておったというのです。実際、その公爵は、その頃の領主の内では、比較的人の良い人物として知られており『怒りを知らぬ男』といわれていたほどです。何をやるにも誠実で、確実なことから、そんな名前がついたのでしょう。民の中では、『シロブタがクロブタを産んだ』としきりに言われていました。しかしそれは、マグダリーニの功績でした。彼女が公爵を育てたからです。公爵には、もう一人弟がいましたが、彼も、マグダリーニに育てられた身で、大変、彼女を信頼していました。その彼については、後ほど触れることになりましょう。

公爵は、大変な資産家で、その領土の暮らしは、大変豊かなものでした。それは、そのヴァランゲが、兵器を全く買わず、全てを土地の発展に注ぎ込んでいたためです。たとえ周囲との状況が悪化しようとも、彼は、話し合いで解決しました。それは、周囲から一目置かれる領地になるという結果を招くことになりましたが、ヴァランゲは、決して悪性な取引や、賄賂には、応じようとしませんでした。それもまた、民から賞賛を受ける結果となりました。

ただ、ヴァランゲが、全く女性に関心が無いというのが、人々の悩みでした。つまり、娘を持つ家庭にとっては、資産家になるという玉の輿の望みが無いわけですし、マグダリーニは、後継ぎ難を心配していました。そのため、今回の『待ち合わせ』というのは、女性との待ち合わせか、とみんな噂をしたものです。……ですが、皆の期待は大外れで、悲惨な終わりを見たのです。

ところで、下女マグダリーニは、それから、夜半まで、ずっと公爵の帰りを待っていました。夜間に入り、うとうとし出したその時、頭上で巨大な羽音が聞こえました。それと同時に、窓の外で、雄鶏が鳴いたのです。彼女は、居ても立っても居られなくなりました。なぜかといったら、その地には、世々にわたって伝えられてきたある伝説があったからです。彼女は、同時に、信心深い性格だったのです」

私は、突然、このつまらないおとぎ話に、興味を覚えて、言った。

「へぇ、伝説ですか。なるほど。どんなものです?」

ポロット氏は、人差し指を立てて、私を鋭い目で見つめた。

「それはですね、大変、奇々怪々なものでした。私でさえ、いささか動揺しました。それは、この事件のもととなったのです。

『昔、この地に、アマルテアと呼ばれる、狩人が居たり。森の命を狩っては、自分の日を永らえさする、糧とせし。いかな物をも外さざる、その弓と矢は、森の命に、恐れらるるものなり』

そのアマルテアと呼ばれる狩人は、その地方一帯を旅する、放浪者だったと言われています。数々の紛争の傭兵を務め、いろいろな人々から怖れられ、恨みをかっていたために、どこへ行けども、追い立てられる羽目になったのです。彼は、傭兵の中でも、ひときわ目立つ存在でした。その弓の能力は、天性のもので、狙ったものは、決して外すことは有りませんでした。

『時に、彼は闇の森に立ち入れり。そは妖蛇の森なり。赤目の蛇の王、キンカジュウぞ怒る。その体は長きこと……その背には王のしるし有りけり』」

「なんなんですか…そのわけのわからない話は……巨大な、背に模様のある蛇『キンカジュウ』が闇の森に居るってことですか?」

「そう、私は、コブラか、何かの変種と推測していますがね。コブラなら、背に印がついているではありませんか!しかし、その蛇はとても大きいらしいですな。そして強大な毒を持っている、と後に述べられているのです。けれども毒蛇というのはせいぜい一メートルほどです。体が大きくては、毒など必要ありませんからね。そのために、私は、コブラの変種、と言っているんです。さて、蛇が、毒牙を使って噛んだ時、一度に放出される毒は、0.3から1グラムです。その毒は、黄色味がかった粘液性の液体で、乾燥すると結晶化しますが、毒性は二十年間以上も維持されます。コブラの毒は、神経毒という種類に分類されます。これは神経麻痺を引き起こし、運動神経から筋肉への刺激の伝達――簡単に言えば感触――を妨げるのです。ちなみに、マムシの毒は、血液毒と言われています。この種の毒は、血液の凝固――つまり硬化を妨げ、血管やリンパ管の浸透性を高めます。その結果、浮腫や内出血を引き起こすのです。

しかし、こうして考えてみると、この伝説では、いくらかおかしなところがあるのです。その後、アマルテアは、毒蛇キンカジュウに噛まれて、

『体内に大量の毒を見る』

という状態で、死んでいるのが、発見されたそうです。そして、彼が発見された時、『森の鳥々は、恐れを成して飛びたち』、叫びをあげたのです。しかし、体の中に、蛇が大量の毒を流し入れることはありません。つまり、先程私が言ったように、0.3から1グラムの毒を流し入れるだけなのです。私は、この巨大蛇とその毒について、思いをめぐらしてきましたが、その結論は後で語るとしましょう。

さて、マグダリーニは、その伝説を知っていたため、公爵の身をあんじ、現地語で『闇の森』と呼ばれる、シダの原生林に向いました。公爵は、この方向へ向かったからです。また、そこはキンカジュウ伝説で、アマルテアが殺された場所でした。『闇の森』という地名は、そこの植物の色が、他に比べて黒く、胞子嚢などがついていて不気味なため、ついた名だと、言われています。

そして……はたして、その森の入り口付近で、彼女は変わり果てた公爵を発見したのです!! 」

「殺人!?」

私は思わず叫んだ。

「さよう、私達ならば、そう考えた所でしょう。しかし、その時代の人々は、まだ伝説というものを重視していました。日本でも、ヤマタノオロチやらツチノコやらレッサーパンダやら何やらがあるでしょう。それと同じ存在だったわけです。その大蛇キンカジュウは。昔の人々には、いろいろ未知のことが有り、それを調べる術がなかったからです」

ポロット氏は、日本の古典に、レッサーパンダが出てくると、固く信じて、疑わない。

「ということは、伝説のアマルテアと似たような、死亡条件だったわけですか?確かキンカジュウの毒が大量に有ったのでしょう? 体の中に、多量の毒が見られるという……」

「はい、ほぼ類似しています。そのヴァランゲ公爵の検死解剖をしたところ、体内に異常なほどの水が見られ、溺死と判断されたのです。しかしながら、狩人アマルテアのように毒死というわけでは有りませんでした。ただ、体内に、異常なほどの、液体状物質(それも水!)があったというだけです。だからはじめは、ヴァランゲ公爵は、どこかで溺れ死んだのではないかとも考えられました。しかし、それは無理なことでした。なぜかというと、ヴァランゲ公爵には、溺れることの出来る場所まで、行く時間が無かったからです。

ヴァランゲ公爵は、『闇の森』の近くで、友人デコリー(ヴァランゲが待ち合わせたらしき人物だが、彼のほうは、待ち合わせをしてはいず、偶然会ったと主張している)に会ったのですが、その時刻から、半刻も経たぬうちに、死体が発見されたのです。それでは、近くの河川に行く時間も有りませんでした。近くの水が豊富な河川まで、少なくとも片道半刻はかかるのです」 

ポロット氏は、そこで一服した。さすがの名探偵も、喉がかれるらしい。コーヒーを綺麗に飲み干してしまった。そのコップは、奇妙な平行四辺形型だが、本人は、楽々と持っている。どう考えても、持ちにくいだろうと私は思うのだが……。

「当然、その待ち合わせをしていたデコリーとやらは、疑われたんでしょ?彼には、ヴァランゲ公爵を殺す機会があったのでしょう?彼は、公爵と二人で居る時間がたっぷり有ったのですから、河川にだってどこにだって行けたはずです。」

「でも、それが違うんです。」

ポロット氏は、人差し指を立てた。

「もし河川に行くなら、隣りの領土を通るので、隣りの公爵の部下や奴隷、下男、下女が、二人のことを覚えているはずなのです。しかしその日、誰も、デコリ―とヴァランゲを見た人はいませんでした。そのため、この事件は、迷宮入りとなり、毒蛇『キンカジュウ』のしわざと考えられたのです。人々は、闇の森を封鎖しました。

マグダリーニは、大変悲しみました。自分が育てたも同然な、公爵が殺されたからです。その犯人すら上がりません、人々はキンカジュウだと叫ぶばかりです。毒蛇キンカジュウが、公爵をかみ殺したというのです。確かに、ヴァランゲ公爵の手に噛み痕がありました。手に噛み痕が有るというのは、防衛本能を持つ蛇に、手で触ろうとしたりすれば良くあることなので、何の疑いもありませんでした。しかし、死因は、蛇毒の効果である内出血や神経麻痺とは異なり、溺死なのです。体の中に有る水の量から、事実、水による溺死と判断されたのです。しかし、人々は、キンカジュウが犯人ならば、なんでも有りうると言って、早くこの事件を忘れ去ろうとしました。つまり、キンカジュウが、毒牙からヴァランゲに水を注入したと言うのです。

一方で、公爵について、良くない噂も広がりました。なぜ、公爵は闇の森に行ったのでしょうか。それは、悪質な人々の、飛びつく話題となりました。人々は、公爵は、何かの犯罪に関わっていたのではないか…、公爵は蛇神を崇拝していたのでは無いか、などという良からぬ噂を飛ばしました。それを聞いたマグダリーニは、どんな気持ちだったでしょうか」

「はぁ……悲しかったでしょうね。」

「そりゃあもう! そのため、マグダリーニは、公爵の無実を示し、犯人を挙げるために、調査を始めたのです。しかし、私のように有能で、確実な捜査は出来ませんでしたが。

私は、かつて、『私の名はエルキュール・ポアロ、恐らくは世界で最も偉大な探偵です』と言ったとされる、自惚れた伝説の小男を思い出した。しかし、彼の場合は、その行いがもっともなだけに許されるというものだ。その点、ポロット氏は……考えるだけ無駄だ!

「そのころ、公爵の後の地位を、公爵の弟の、ジェルラールが次いでいました。そのとき、マグダリーニは、自分の家臣になってほしい、という彼の頼みを聞き入れ、下女、下男を持つ地位になっていたのです。そのため、彼女は、大規模な捜査を行うことが、可能でした。まず、彼女はデコリーに会いに行きました。デコリーは、もと、公爵の父の世代の家臣で、今は鍛冶屋を運営し、たまにヴァランゲの相談相手になっている身でした。この前の土地改革を行った時にも、彼は公爵の参謀を勤めたのです。

「あなたは一体、ヴァランゲと何を話したのです?」

マグダリーニは、訊きました。それはもちろん、公爵の最期の日に、彼が公爵と会って、話した内容を訊いたのです。デコリーは、その白髪かかった頭を掻きながら、言いました。彼は、何か嫌な感じの男でした。どこをどう嫌と言い表して良いのかは、分かりません。とにかく、良く見かける、嫌な性格の男だったのです。彼は、ニヤニヤ無気味な笑いを浮かべ、

「どうしても、言わなければならないのですか?」

と言いました。

「あたりまえです」

マグダリーニは、毅然とした表情で、デコリ―を睨みました。それには、さすがのデコリーも、すくみ上がったようです。彼は、勿体ぶって咳払いをして、

「ウフン、フン。これは彼のマイナスイメージになるから、言いたく無かったのですがね」

と、言って続けました。「彼は――――」

「――彼は、闇の森で、賄賂のようなものを受け取っていたのですよ」

マグダリーニは、「誰が信じるかっ」と言うような目で相手を睨みました。自分の子と大差なく育ててきたので、ヴァランゲのことは、何でも知っていると言いたげな顔でした。

「そんなはずは有りません」

「いえ、これは本当のことなのです。彼は、隣国から賄賂を受け取っていたのです。なぜ知っているかって?それは私が不正な事を――それと知らずにさせられていたからですよ。

隣りに、小さな隣国があるのを知っているでしょう。イウナーウの領土です。彼は、父の時代に、自分の国に、大変な兵力が有ったことを利用して、周囲の国々に、『私が、君の領土を取りに行く前に、和平を結ぼうじゃないか。そのかわり、これを買うんだ』と言って、周りの国々に、私の所で作った商品を、法外な値段で売りつけていたのです。特にイウナーウなどは、その誘いに乗ってきました」

「じゃああなたは、ヴァランゲが、そんなことを、何の特になるからやっていた、と考えているのです?」

マグダリーニは、耐えきれなくなったのか、いきなり大声で叫びました。

「名声ですよ。彼はどんなことをしてでも、周囲の人間から良く思われたかったんです。あの人は、そのゆすり取るような形で取ったお金を、領地の発展に回していたのです」

「あなたも、そのゆすりに加わっていたというのですか?」

「いえいえ、まさか? 私は真相を知って、ヴァランゲ公爵を止めようとしていただけですよ。私はあの日、闇の森で取引をするために、イウナーウの国の人と待ち合わせをしている公爵を、ふとしたことで見つけ、その行いを止めさせようとして行ったのですが、追い返されてしまったのですよ。私は、公爵と会う約束など、していなかった、と言ったでしょ?」

そう言って、デコリーは喉を鳴らしました。その後、押し合い圧し合いの問答が続きましたが、デコリーは譲ろうとしませんでした。

「さあ、お引き取りください。話すことは、全て話しました。」

「デコリー、あなたには、良心というものがないのですか?そんな嘘をついて、心が痛くありませんの?」

しかし、マグダリーニは、真相を暴く事は出来ませんでした。

 次の日、彼女は後継ぎになったジェルラールのもとに行き、こう言いました。

「隣りのイウナーウに、訊いていただけませんか?ゆすられていたことがないか、どうか」

「どういうことだい、マグ。ゆする?何のことだい?」

と言ったのはジェルラール。確かに、いきなりそんなことを言っては、まずいに決まっています。そこで彼女は、言葉を変えることにしました。

「わが国の製品はどうか、とイウナーウに訊いてください。」

「しかし、わが国は、イウナーウとは、何も貿易していないんだけど…?」

しかし、彼女は、ジェルラールに、訊くことを強制しました。

その結果、返ってきたジェルラールから伝えられた答えは、『はい、大変良い品物です』ということでした。これは、不正な取引をしていた証拠と、考えざるを得ないのでしょうか?

 その後、しばらく、マグダリーニが活動を停止している間に――ジェルラール新公爵の政策によって、再び国は軍事国へと変化しつつありました。が、その途中に――再び事件が起こったのです。

前の事件の噂がまだ消えぬ内に、同じような溺死体が、『闇の森』の入り口で発見されたのです。『闇の森』は閉鎖されていたとはいえ、警備が常にされていたわけではありませんでした。人々は口々に、キンカジュウの怒りだ!と叫んだものです。ただ、そこにマグダリーニの姿は見えませんでした。その溺死体の顔を見れば、誰だって、驚いたに違いありません。それは、デコリーでした。その服には、『私こそキンカジュウ』と太い字で書かれていたのです。当然、犯人は見つからず、迷宮入りとなりました。

後の記述はこう記しています。

『キンカジュウと名乗りし男が死にし日に、ジェルラール公爵は、喉を切りぬ。皆、自殺と判断せり。動機は明かされざるまま、今日に至る』

 ポロット氏は、ため息をついて、私にコーヒーを求めた。私は、いろいろな図形が組み合わさって出来たようなポットで、コーヒーを注いだ。

「デコリ―が、同じ方法で殺されたというのですか…。その後にジェルラールが自殺したんでしょ?――――ということは、デコリー殺しの犯人はジェルラールだったのですか?」

私は、ジェルラールが、公爵の地位につくために、兄であるヴァランゲを、デコリーを使って殺し、その後にデコリーの口を封じたが、良心により悔い、自殺したという情景を想像した。しかし、ポロット氏はそれを否定した。

「いえ、これから私の推理を話しましょう。まず、私は、どうやって、ヴァランゲが溺死したか、これを考えました。そこで思い当たるのは、彼は、川や海で溺死したのではなく、闇の森の入り口で溺死したのではないかということです。」

「彼は、水のないところで、溺死したとでもいうのですか?ポロット」

私は驚いて訊き返した。溺死とは、海や川、プールなどでするものだと、考えていたのだ。私が彼にそう言うと、彼は笑って、

「さすがにプールは酷いですが、一般の人々が、溺死というものは、どこかで溺れ死ぬものだと考えていることは事実です。実際、漢字も、溺れ死ぬと書いて、溺死と読みますね。しかし、溺死とは、広い意味での水死を指します。つまり、体内の水によって溺れ死ぬという可能性もあるというわけです。」

私は、彼の下手な日本語に閉口した。

「なるほどね、ちっとも分かりませんよ。体内の水によって溺れ死ぬとはどういうわけですか?体の平行感覚が失われるとかそういう意味ですか?」

「ノン、そうではありません、モナミ。溺死というのは、水で溺れ、多量の水によって窒息死する事を指すわけです。だから、体内の水による溺死とは、体内の水で呼吸困難に陥って窒息死することを、指すわけです。

とにかく、ヴァランゲ公爵は、森の入り口で、何者かによって大量の水を飲まされ、窒息の溺死に至ったわけです」

ポロット氏は、どうだ、と言うような得意げな顔で私を見た。

「そんなに、水って危ないものなのですか? 普段私達が水を飲んでも、溺死はしませんが……」

「それは、人の胃に、薄い脂肪の膜が有るからです。通常の場合、それは水や極性の有る他の物質を吸収しません。人の胃は水を吸収しないのです。そのため、大量の水を飲ませると、胃が物理的にパンクするので、胃がその前に受けつけなくなります。それがあるから私達は溺死しないのです」

私は、顎が外れたかのように、しばらく口をぽかんと開けてポロット氏を見ていた。

「溺死しないんなら、あなたのいうトリックは、成功しないじゃありませんか、ポロット」

私は苦笑しながら言った。

「いえいえ、最後まで聞きなさい。――ですが、例外、というより溺死させる方法があるのです。中世の秘密警察や宗教裁判所の用いた拷問テクニックに(こう言うと優しいあなたは耳を背けるかもしれませんが……)水責めという方法がありました。この中に、皮革製の漏斗を使って、大量の水を体内に注ぎ込むという悪質なものがあったのです。この結果、溺死する人もいたと考えられます。つまり、漏斗を使うため、胃が水を受け付けなくなったとしても強引に飲ます事が出来るのです。

他にも、フランスのある女性が、三十リットルもの水を自力で飲んで溺死したというような、意思堅固の驚くべき例もあります。事実上、肺が水で一杯になってしまったのです。つまり、人は水を飲んで、溺死することがあったのです

 私は、これはデコリーが、簡単な蛇毒を使って、ヴァランゲの意識をなくしてから、この方法で殺した事件だと思っているのです」

私は、思わず、頭の中がすっきりして感じた。なるほど。それならつじつまが合う。

「しかし、動機は何だったのです?」

「それはですね。私は、デコリーは軍事強国の妄想に取りつかれていたのではないか、と考えているわけです。父公爵の時代の、そういう方針を、真に愛する人もいたと考えられるからです。デコリーなどは、父の家臣でしたからね。その可能性は大いに有ります。また、ジェルラールは彼の言いなり――つまり同じ穴の狢――だったわけです。何か弱みを握られていたのでしょうか。とにかく、二人は、平和な時代に飽き飽きし、ヴァランゲを殺して軍事強国を築いて、領地の拡大を目指したかったのです。二人は口裏を合わせて、ヴァランゲを悪者に仕立て上げました。しかし、後にデコリーが殺されて、一人立ち出来なかったジェルラールは、自殺してしまいました」

「なるほど…。では、キンカジュウ伝説の真相は、どうだったんです?」

私は、残る謎を率直に口にした。

「これも私の推測ですが、多分、昔、ヴァランゲの祖先の領主が、偉大なる傭兵のアマルテアを水責めで拷問した末に、毒殺したんだと思います。そして、その死体を捨てたのが、『闇の森』だったのでしょう、その後に誰かが伝説を創作したのです」

ポロット氏は口髭をひねった。そして、ハンカチで、髭についたコーヒーをふき取った。

「そんな解釈の仕方もあるのですね。じゃあ、最後の疑問を。デコリーを殺したのは誰なんですか?」

「それは……私にもわからんのですよ、あなた。わかっていることはただ、後日談だけです……たとえば、マグダリーニは、その後、悲しみながらも六十五歳の生涯を全うしたそうです。可哀想な人ですね。実の息子の様に慕っていた二人の男に死なれて、孤独な人生を送るようになってしまった……。それはそうと……そう!犯人はキンカジュウですよ!」

私は自分の耳を疑った。

「何ですって?」

「犯人は、大蛇キンカジュウの怒りですよ!」

そう言ってポロット氏は、台所へと行ってしまった。その後、彼がキドニー・パイを作る音が聞こえてきた。良い臭いが漂ってくる。私は、しばらく疲れ果てて、座っていた。ポロット氏の聞きなれない日本語を、長い時間聞いたせいかもしれない……。

 翌朝、私はポロット氏に言ってやった。ポロット氏は、歪な三角形をした雑巾で、斜めの楕円形の形をした、窓の、朝露をふき取っている所だった。

「ポロット、今度の海は中止にしときますよ」

ポロット氏は、振り向くと、何度も頷いて、

「それは良い判断です。海の水は大変危険ですからね。私の教訓が功を奏したようですね」

「はい、どうやら、ただ泳げないことを説明するだけにしては、長い教訓話でしたよ」

ポロット氏はニヤッと笑った。そして、

「あなたが学んだ事はなんですか?」

と聞き返した。私は言ってやった。

「学んだこと―――海の水なんかより恐いのは、毒蛇キンカジュウだってことですかね!」

ポロット氏は、額を押さえて、下手な日本語を叫んだ。

「いや!まったく…!」

なお、この教訓話はポロット氏の創作の昔話だということである。

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あとがき

この話はわたしが中学1年生くらいのときに書いたポロット氏のストーリーです。

ポロット氏とは何者か。なんだかよくわかりませんが、原型は、エルキュール・ポアロが、「アクロイド殺し」の中で名乗っていた偽名です。それがなぜかわたしの小説の珍妙な登場人物になってしまったのでした。

この作品はポロット氏シリーズでは確か二作目にあたると思います。これ以前、小学校を卒業する前、「ポロット氏登場」という話を書いています。…がお見せできるクオリティにないので、二作目をとりあえず(笑) ちなみに「ポロット氏登場」というタイトルも、アガサ・クリスティの「ポアロ登場」や「パーカー・パイン登場」に影響を受けていますね。

当時、毒物学に凝っていて、毒物の本を読みあさるという物騒な中学生だったため、ポロット氏の話にはよく謎の毒物が登場しています。これとは別に、クラスの友だち向けに「ポロット氏の毒物学講座」という定期刊行物を作っていたのですが…どういう反応だったかはお察しください。第四回くらいまでは続いたと思います(笑)

ポロット氏は最初はポアロ的変人のイメージで書いていましたが、後々、ディクスン・カー推理小説に出てくるギデオン・フェル博士や、別名義のヘンリ・メリヴェル卿の影響を受けて、ドタバタ喜劇色が強くなっていきます。あの二人も(特にヘンリ卿は)相当迷惑なおっちゃんですからね(笑)

比較的まじめな話を書いていた他のシリーズに比べ、ポロット氏シリーズはコメディ色が強いですが、なぜかこちらのほうがみんなに人気があったので、当時は複雑な気持ちでした。そもそも、わたしの頭の中からポロット氏という奇人が生み出されたことに、今でも動揺を隠せません…(笑)

今も公開してみて、どんな感想を持って読まれるのか、ものすごく不安ですが、とりあえずお読みいただきありがとうございました(^_^;)